町に災いが起こったなら、それは
主がなされたことではないか。
アモス書3:6

 

メシアはこういう苦しみを受けて、
栄光にはいるはずだったではないか。
ルカ24:26

 

 イザヤ書25:6~9
 ルカ24:13~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/5;月)

 

神は卑しめられている者を高く引き上げ、
嘆く者を安全な環境に
引き上げてくださる。
ヨブ記5:11

 

私たちの主イエス・キリストの
父である神、慈愛に満ちた父、
慰めを豊かにくださる神が
ほめたたえられますように。
神はあらゆる苦難に際して
私たちを慰めてくださいます。
Ⅱコリント1~3~4

 

 ヨハネ20:1~10
 ルカ24:36~49(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/6;火)

 

 

 聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の計画を、
そのしもべである預言者たちに示さずには、
何事もなさらない方、
預言者を通して民に知らせてからでないと、
何事もなさらない方、のようです。

 

 町にわざわいや騒ぎが起こることも前もって知らせ、
それが、ご自身によって起こったことだと
分かるようにされて。(アモス3:3~8)

 

 今からおよそ2000年ほど前のあの時も、
世界中に離散しているユダヤ人が、
世界中からエルサレムに帰って来る、
その過越しの祭りのまっさい中に、
エルサレム中が大騒ぎになるような出来事が
起こったのだそうです。

 

 「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか」(ルカ24:18)と
言われるような出来事が。

 

 しかも、それは、たまたま起こったのではなく、
人類の始まりのアダムの時以来、語り継がれ、
1500年、文書になって読み続けられて来たそのことが。

 

 「キリストは、必ずそのような苦しみを受け、
それから、その栄光に入る」という、そのことが。

 

 

 イエスの弟子の一人のクレオパが説明して言います。
「それは、ナザレ人イエスのことです。
この方は、神と民全体の前で、
行いにもことばにも力のある預言者でした。
それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、
この方を死刑にするために引き渡して、
十字架につけてしまいました。
私たちはこの方こそイスラエルを解放する方だ、と
望みをかけていました。

 

 実際、そればかりではありません。
そのことがあってから、三日目になりますが、
仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。
彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。
そして、自分たちは御使いたちの幻を見た。
彼らはイエス様が生きておられると告げた、というのです。
それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、
まさしく彼女たちの言ったとおりで、
あの方は見当たりませんでした」、と。(ルカ24:19~24、ヨハネ20:1~10)

 

 【父である神】は、この、旧約聖書で預言してこられたことを、
その言葉のとおりに実現なさったのだそうです。
言われているとおりに。

 

 

 さらに神は、イザヤを通して預言しておられます。
「万軍の主は、この山の上で万民のために、宴会を開かれる。
この山の上で、万民の上をおおうベールを、
万国の上にかぶさる覆(おお)いを取り除き、
永久に死を呑み込まれる。
【神】である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、
全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。
【主】がそう語られたのだ。
 

その日、人は言う。
『見よ、この方こそ、待ち望んでいた私たちの神、
私たちを救ってくださる。
この方こそ、私たちが待ち望んでいた【主】。
その御救いを楽しみ喜ぼう。』」(イザヤ25:6~9)

 


 神は、卑しめられている者、低い者を高く上げ、
嘆き悲しむ者を安全な環境に引き上げてくださる方。
慈愛に満ち、あらゆる苦難に際して、
私たちを豊かに慰めてくださる方。

 

 約束のとおりに
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって、私たちに
いと高き所からの力を着せ(ルカ24:49)、
【父である神】と思いを一つにして生きる者ともして。

今日も。

 

 

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キリスト言われる:
わたしは一度死んだが、
見よ、世々限りなく生きて
死と黄泉の鍵を持っている。
黙示録1:18(4/4の週の聖句)

 
主は言われた:
わたしが自ら同行し、
あなたに安息を与えよう。
出エジプト33:14

 

イエスは言われる:
わたしが生きているので、
あなたがたも生きることになる。
ヨハネ14:19

 

 Ⅰコリント15:1~11
 ルカ24:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/4;Ⅰ日曜、復活祭)

 


 十字架刑による処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活したイエスが言われるのですね。
「わたしは、死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死と黄泉の鍵を持っている」と。

 

 この方が、私たちの人生の歩みに同行してくださり、
安息を与えてくださると言われる。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって私たちを、
【父である神】と心を一つにして生きる者、
新しい生き方を生きる者にして。

 


 2000年前、イエスの弟子たちの集まりが
ローマ帝国、地中海世界に広まって行ったとき、
その弟子の中にも、死者の復活などない、
イエスが復活されたなどということはないという人たちが
いたようですね。

 

 それで、パウロは言います。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、
私も受けたことであって、次のことです。
 

キリストは、聖書(旧約聖書)に書いてあるとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、聖書に書いてあるとおりに、
三日目によみがえられたこと、
また、ケファ(ペテロ)に現れ、
それから12弟子に現れたことです。

 

 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに
同時に現れました。
その中にはすでに眠った人も何人かいますが、
大多数は今なお生き残っています。

 

 その後、キリストはヤコブ
(12使徒のヤコブではなく、イエスの弟のヤコブ)に現れ、
それからすべての使徒たちに現れました。
そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも
現れてくださいました。」(Ⅰコリント15:3~8)と。

 

 

 イエスが十字架につけられ、死んで墓に納められた
次の日曜日の朝のことを、
ルカは次のような記事にしています。

 

 「週の初めの日の明け方早く、
彼女たち(マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメ)は、
準備しておいた香料を持って墓に来た。
見ると、墓の穴のふたをしている非常に大きな石が
墓からわきに転がされていた。
そこで中に入ると主イエスのからだは見当たらなかった。
 

そのため途方に暮れていると、
見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。
彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。

 

すると、その人たちはこう言った。
「あなたがたは、どうして生きている方を
死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。
 

まだガリラヤにおられたころ、
主がお話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、
十字架につけられ、
三日目によみがえると言われたでしょう。」

 

 彼女たちはイエスのことばを思い出した。
そして、墓から戻って、11人とほかの人たち全員に、
これらのことをすべて報告した。
それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、
そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。

 

 彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
この話しはたわごとのように思えたので、
使徒たちは彼女たちを信じなかった。

 

 しかし、ペテロは立ち上がり、走って墓に行った。
そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。
それで、この出来事に驚きながら
自分のところに帰った。」(ルカ24:1~12)

 

 

 今日は、教会では「復活祭」、
その、イエスが復活された日曜日の朝を記念した
礼拝がもたれます。
 

 十字架刑での処刑を受け、死んで墓に葬られ、
この日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分が確かに生きていることを見せ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエス。

 

 そのイエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
この方によって、私たちは、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
うちに【父である神】の御思いがあるようにしていただきながら、【父である神】と一つ思いの歩みへと。
 

神とともに歩む歩みを。

この新しい週も。

 

 

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主はあなたの国境に平和を置く。詩147:14

 

キリストは
私たちの平和であります。
エフェソ書2:14

 

 イザヤ書52:13~15、53:1~12
 ルカ23:32~49(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/2;金)

 

この方は主で私たちの神。
全地にわたって裁かれる。
詩105:7

 

キリストは、罪のために
ただ一度苦しまれました。
正しい方が、正しくないもののために
苦しまれたのです。
あなたがたを
神のもとへ導くためです。
Ⅰペトロ3:18

 

 Ⅰペンテコステ:18~22
 ルカ23:50~56(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/3;土)

 


 私たちは、聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に対して、敵対し、
対立、対抗する者です。

 

 けれどもこの方は、私たちと
平和な関係になろうと願っていてくださるのだそうです。

 


 この方は、全地を裁かれる方。
私たちは、さばき主として御座に着いておられる方に
十字架で処刑された傷跡を、
槍で突き刺された傷跡を見ることになるのだそうです。

 

 

 イエスが生まれる700年ほど前、
天の神、【主】は、イザヤを通して
イエスのことを預言して言われました。

 

「彼は、砂漠の地から出た根のように、
見るべき姿も輝きもなく、
私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背(そむ)けるほど蔑(さげす)まれ、
私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。


それなのに私たちは思った。
神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎(とが)のために砕かれたのだ。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、【主】は私たちすべての者の咎を
彼に負わせた。

彼は痛めつけられ、苦しんだ。
だが、彼は口を開かない。
(ほふ)り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
(しいた)げとさばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことか。
彼は私の民の背(そむ)きのゆえに打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は、悪者どもとともに、
富む者とともに、その死の時に設けられた。
彼は不法を働かず、
その口に欺(あざむ)きはなかったが。」(イザヤ53:2~9)

 


 そして、イエスは、その預言のとおりに、
エルサレム城外の「ゴルゴダ(どくろ)」と呼ばれる場所で、
その年の過越しの祭りの金曜日の午前9時頃、
二人の犯罪人とともに十字架に架けられ、
午後3時頃、「完了した」と、
また、【父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて
息を引き取られ、
近くにあった墓、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘ってあった墓に
納められたのだそうです。(ルカ23:32~56)

 

 正しい方が、
正しくない私たちの身代わりの死を死んでくださって。


このイエスの死によって、私たちも神との平和の中へと。

今日も

 

 

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なぜ、あなたは神と争うのか、
自分の言葉に
神が答えないからと言って。
神は一度語り、また再び語るが、
人はそれに気付かない。
ヨブ記33:13~14

 

主イエスは大祭司に
「わたしは世に公然と話し、
会堂や神殿の境内で教え、
隠れて何も語っていない。
わたしが何を話したかは、
それを聞いた人々に尋ねるがよい」
と答えた。
ヨハネ18:20~21

 

 マタイ26:17~30
 ルカ23:26~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/1;木)

 

 

 ヨブのように、私たちも、
神が自分の言うことにいちいち答えてくださらないからと、
本当は神なんかいないのではないのかと
思ってしまう者なのですね。

 

 けれども、「神のことば」である方、
【父である神】の御思いの、そのままの表現である方、
イエスは、皆が聞いているところで公然と語り、
隠れては何も語っていないと言われるのですね。

 

 

 イエスの12弟子の一人、イスカリオテのユダは、
イエスが自分の願っているような
「この世の王」になろうとはしないのを見て、
群衆がいないときに、イエスを祭司たちに引き渡そうと
機会を狙っていたのだそうです。

 

 それでイエスは、他の弟子たちに気付かれない、
ユダにだけ分かる方法で、
「わたしは、分かっているよ」とサインを送られたようですが、
ユダは、心を翻(ひるがえ)すことなく、
自分の決めた道を進み、
ついにイエスを敵に売り渡す者となってしまったようです。(マタイ26:21~25)

 

 

 イエスが捕らえられる夜の、
最後の晩餐(過越しの食事)の席上で、
パンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、
弟子たちに与えて言われました。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

 

 また、杯(さかずき)を取り、感謝の祈りをささげた後、
こう言って彼らにお与えになりました。
「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人々のために、
罪の赦しのために流される、
わたしの契約の血です。」(マタイ26:26~28)

 

 イエスは、神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちに代わって血(いのち)を流してくださり、
私たちの「的外れ」の責任が
果たされたものとしてくださっているのだそうです。

 

 

 イエスは、以前に話されたことがありました。
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
そして、わたしが与えるパンは、
世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:32~59)

 

 私たちのからだが食べた物と一体になるように、
イエスの肉を食べるとは、
イエスと一体となることを表しているのでしょうね。

 

 神の創造の目的(創世記1:26)から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けられた十字架刑での処刑に合体させて
死んだ者としていただいた者に、
イエスは、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちがイエスと一体となって、
【父である神】と一つ思いになって生きるように、と。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 そのために、イエスは、
自分が付けられる十字架をかついで、
ゴルゴダと呼ばれる処刑場への道を一歩一歩、
確実に歩んでくださったのですから。(ルカ23:26~31)

 

 過越しの祭りで、世界中からエルサレムに帰って来ていた
多くの人の見守る中を。

 

 私たちも、このイエスの十字架刑での処刑によって
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだ者、
処刑が終わっている者していただいていることを受け取り、

 

復活されたイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いの中へと。

今日も。

 

 

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罪人らのことに心を燃やすことはない、
日ごと、主を畏
(おそ)れることに
心を燃やすがよい。
箴言23:17

 

イエスは言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか
知らないのです。
ルカ23:34

 

 ルカ22:1~6
 ルカ23:13~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/31;水)

 


 悪いことをして栄えている人を見て、
私たちは、正義はどこにあるのかと思ったり、
また、羨(うらや)んだりと心が動きます。

 

 けれども、いつも、日ごとに
天の神、【主】を恐れることこそ、肝心なことなのだそうです。

その人には確かな将来があり、
望みが断たれることはないのだそうですから。

 

 

 イエスは、自分を十字架につけ、
(あざ)ける人たちのことを
【父である神】に執り成して言われたのですね。

「父よ、彼らをお赦しください。
彼らは、
自分が何をしているのかが分かっていないのです」と。

 

 

 イエスの12弟子の一人のイスカリオテのユダが、
祭司長たちや宮の守衛町たちから金をもらって、
人々のいないときにイエスを捕らえさせる手引きをしたように。(ルカ22:1~6)

 

 また、ローマ総督ピラトは、
イエスに罪を認められなくって釈放しようとしたのに、
同国人である人々が
「十字架だ。十字架につけろ」と要求して、
遮二無二、イエスを十字架につけていったのだそうですから。(ルカ23:13~15)

 

 私たちも、悪人に心捕らわれることなく、
天の神、【主】の御思いが成って行くことを求めて。

今日も。

 

 

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一人のみどりごが
私たちのために生まれた。
一人の男の子が私たちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
イザヤ書9:5

 

荘厳な栄光の中から、
「これはわたしの愛する子、
わたしの心に適う者」
というようなお声があって、
主イエスは父である神から
誉れと栄光をお受けになりました。
Ⅱペトロ1:17

 

 ヨブ記38:1~11、42~1~6
 ルカ23:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/30;火)

 


 一人の赤ん坊、男の子が生まれるというのですね。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議は助言者、
力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる方が。

 

 その方、イエスが、
ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて高い山に上られたとき、
厳かな栄光の中から声があったのだそうです。
「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。
わたしはこれを喜ぶ」との。

 

 この方は、【父である神】の御思いのとおりに、
地の基を定め、地の大きさを定め、
海と陸地の境を定められた方。(ヨブ8:1~11)

 

 しようと思われれば、
どのような計画も不可能ではない方。

 

 この方のお声の前では、
私たちは、ただ、ひれ伏すばかりなのだそうです。
ヨブが、「私はあなたのことを耳で聞いていました。
しかし今、私の目があなたを見ました。
それで、私は自分を蔑(さげす)み、悔いています。
ちりと灰の中で」と言ったように。(ヨブ42:1~6)

 

 また、捕らえられたイエスを取り調べたローマ総督ピラトも、
イエスに罪を認めることはなかったのですね。(ルカ23:1~12)

 

 

 天地宇宙の造り主の立場にある【御子である神】、
栄光の内に住まわれる方が、
【父である神】の御思いを受け、人として世に降り、
低く、低く、十字架刑での死にまで従われた方、
なのだそうですから。

 

私たちを【父である神】と思いを一つにして生きる者に
取り戻そうとして。

今日も。

 

 

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人の子も上げられなければならない。
それは信じる者が
永遠の命を得るためである。
ヨハネ3:14b、15(3/28の週の聖句)

 

救いは主のもとにあります。
あなたの祝福が、
あなたの民にありますように。
詩3:9

 

イエスは町や村を残らず回って、
会堂で教え、
御国の福音を宣べ伝え、
ありとあらゆる病気や患いを
いやされた。
マタイ9:35

 

 フィリピ書2:5~11
 詩22:23~32(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句3/28;Ⅳ日曜、受難節第6主日)

 

 
 イエスは言われるのですね。
「モーセが荒野で蛇を上げたように
(青銅で作った蛇を竿の上に着けて高く上げたように)
人の子(イエスご自身のこと)も上げられなければならない。
それは、信じる者がみな、
人の子にあって永遠のいのちを持つためです」と。

 

 この十字架に架かられたイエスにこそ、
私たちの救いはあるのだそうですから。

 

 それでイエスは、すべての町や村を回って、
会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、
あらゆる病気、あらゆるわずらいを
(いや)して回られたのですね。

 


 イエスは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自身を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。

 

 人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、
それも十字架の死にまで従われました。

 

 それゆえ神は、この方を高く上げて、
すべてにまさる名を与えられました。
それは、イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが膝(ひざ)をかがめ、
すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、
父なる神に栄光を帰すためなのだそうです。(ピリピ2:6~11)

 

 

 それで、イエスによるこの救いに与った者は
神をほめたたえるのですね。

次のようにうたって。


【主】を恐れのすべての裔(すえ)よ 主をあがめよ。

イスラエルのすべての裔よ 主の前におののけ。

主は貧しい人々の苦しみを蔑(さげす)まず いとわず

御顔を彼らから隠すことなく

助けを叫び求めたとき 聞いてくださった。

 

大いなる会衆の中での私の賛美は

あなたからのものです。

私は誓いを果たします。主を恐れる人々の前で。

どうか 貧しい人々が食べて満ち足り

主を求める人々が【主】を賛美しますように。

――あなたがたの心がいつまでも生きるように――

地の果てのすべての者が 思い起こし

【主】に帰ってきますように・

国々のあらゆる部族も

あなたの御前にひれ伏しますように。

王権は【主】のもの。

主は 国々を治めておられます。

地の裕福な者はみな 食べてひれ伏し

ちりに下る者もみな 主の御前にひざまずきます。

自分のたましいを生かすことができないものも。

子孫たちは主に仕え

主のことが 世代を越えて語り告げられます。

彼らは来て 生まれてくる民に

主の義を告げ知らせます。

主が義を行われたからです」(詩篇22:23~32)

 

この新しい週も。

 

 

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あなたが食べて満足し、
立派な家を建てて住み、
心おごり、
あなたの神、主を忘れることのないように
しなさい。
申命記8:12、14

 

どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに
望んでおられることです。
Ⅰテサロニケ5:18

 

 ルカ18:31~43
 ルカ22:54~62(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/ 27;土)

 


 私たちは、食べて満足し、
立派な家を建てて住むようになると、つい、心たかぶり、
与えてくださった方を忘れ、
私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだと
思うのですね。

 

 だから、その思いは、
神の創造の目的から「的外れ」になっている、
〔生まれたときからの私〕という霊から
出て来た思いであることを認めて、

その私は、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
死んだ者としていただいていることを思い出すように、
と言われるのですね。

 

 「死んだ者」から出て来た思いであることを認めて、
それを、そっくりそのまま、イエスの御前に差し出し、
受け取っていただきながら歩むように、と。

 

 十字架刑での処刑を受けて死に、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活したイエス。

 

 40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエス。

 

 【父である神】は、そのイエスを通して、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、
私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの内にご自身の御思いがあるように
してくださるのだそうですから。

 

 富を与え、豊かにしてくださった神に心を向け、
どんなことにも感謝する思いも。

 

 

 エリコ街道の道ばたに座って物乞いをしていた
目の見えない男性が、
イエスが通られると聞き、
このイエスこそ、
「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、
耳の聞こえない者の耳は開けられる」(イザヤ35:5)と
イザヤが預言している方、
ダビデの子孫として来られた救い主であると分かり、
「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫び続け、
イエスから、「わたしに何をしてほしいのですか」と問われると、
「主よ、目が見えるようにしてください」と答え、
イエスから「見えるようになれ」とのおことばをいただくと、
ただちに見えるようになって、
神をほめたたえながらイエスについて行った男性のように。

 

 確かにイエスは、自分で弟子たちに話しておられたとおりに、
「エルサレムに上って行き、異邦人に引き渡され、
彼らに嘲られ、辱められ、つばをかけられ、
むちで打たれ、殺され、
そして、三日目によみがえられ、
今は、天の、【父である神】の右の座に
ついておられるのですから。(ルカ18:31~43) 

 


 「主よ、あなたと一緒なら、牢であろうと、死であろうと、
覚悟はできています」と皆の前で言い切ったペテロ。

 

 しかし、その夜の内に、
捕らえられたイエスが大祭司の家で裁判を受けている時、
大祭司の家の庭にもぐりこんだペテロは、
召使の女や、下役の男から
「この人も、イエスと一緒にいました」、
「彼らの仲間だ」と言われ、
「そんな人は知らない」、「違う」と
三度も否定したのだそうです。
その時、イエスが言われたとおりに鶏が鳴いて。

 

 イエスは前もって言われました。
「シモン、シモン。見なさい。
サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って
聞き届けられました。

しかし、わたしはあなたのために、
あなたの信仰がなくならないように祈りました。
ですから、あなたが立ち直ったら、
兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31~34、22:54~62)

 

 このことは、それから後、ペテロが、
自分はイエスの弟子として何者かであるかのように思うとき、
常に、自分の実体に思い至り、
自分が立っているのは神によることを
思い起こすことになったのでしょうね。

 

 私たちにも、思い上がり、神を忘れることがないようにと。

今日も、神の御思いの中へ。

 

 

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この貧しい人が呼び求める声を
主は聞き、
苦難から常に救ってくださった。
詩34:7

 

だれでも、
求めるものは受け、
探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。
ルカ11:10

 

 エフェソ書2:11~16
 ルカ22:7~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/22;月)

 


 貧しい者、苦しむ者の叫びを、
天の神、【主】は聞いてくださり、
すべての苦難から救い出してくださるのだそうです。

 

 私たちに必要なものは全部、
前もって準備していてくださり、
求める者は受け取り、
探す者は見つけることができ、
門をたたく者には、開いてもらえるのだそうですから。

 

 私たちは異邦人であって、
キリストから遠く離れ、
イスラエルの民からは除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、本当の神を知らない者でした。

 

 けれども、天の神、【主】は、そのような私たちを、
キリスト・イエスにあって、
イエスが十字架刑で流してくださった血によって
神の民にしようと、
イエスの十字架刑での死と、
三日目、日曜日の朝の新しい霊のからだへの復活を通して
来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって
用意していてくださり、
私たちが求めさえすれば得られるように
していてくださるのだそうですから。(エペソ2:11~13)

 

 イエスと12弟子たちが過ぎ越しの食事ができるようにと、
その家の主人が2階の大広間を
前もって用意していたように。(ルカ22:7~16)

 

 【父である神】は、私たちにも、
探しさえすれば見つけられるように、
求めさえすれば得られるように
していてくださるのだそうですから。

今日も。

 

 

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人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献げるため来た。
マタイ20:28(3/21の週の聖句)

 

わたしの手は地の基(もとい)を据え、
わたしの右の手は天を延べた。
わたしが彼らに呼びかけると、
共に立ち上がる。
イザヤ書48:13

 

初めに言(ことば)があった。
(ことば)は神であった。
この言
(ことば)は、初めに神と共にあった。
万物は言
(ことば)によって成った。
成ったもので、
(ことば)によらずになったものは
何一つなかった。
ヨハネ1:1~3

 

 ヘブル書5:(1~6)7~9(10)
 詩22:1~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/21;Ⅲ日曜) 

 


 イエスは言われるのですね。
「人の子(イエスご自身のこと)は、
仕えられるためではなく、仕えるために、
そして、多くの人を買い戻すために身代金として、
自分のいのちを献げるために来たのだ」と。

 

 

 しかし、この方は、地の基をすえ、天を張り延ばした方。
天地が創造される前から【父である神】とともにおられた方。
【父である神】の御思いを告げ知らせる
【ことばである神】と呼ばれる方。

そして、すべてのものは、この方、
【ことばである神】によって成ったのだそうです。
一つの例外もなく。

私たち一人ひとりも。


 その方が、私たち、すべての人間のために、
ご自分のいのちを献げてくださって、
私たちを【父である神】に執り成す大祭司と
なってくださっているのだそうです。

 

 この世で、肉体をもって生きている間、
自分を死から救い出すことができる方に向かって、
大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげられて。

 

 【御子である神】であられるのに、
お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、
完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって
永遠の救いの源ととなり、
私たちを執り成す大祭司となってくださって。(ヘブル5:7~10)

 

 虫けらのように扱われ、
人のそしりの的(まと)、蔑(さげす)みの的になり、
「【主】に身を任せよ。助け出してもらえばよい。
神に救い出してもらえ。
神のお気に入りなのだから」と嘲(あざけ)られて。

 

 けれども、

この方にこそ、私たちの救いがあるのだそうですから。
命を献げて成し遂げてくださったこの方の救の中へ。
この新しい週も。

 

 

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