主のために、荒れ野に道を備えよ。
見よ、主なる神は力を帯びて来られる。
イザヤ書4031012/17の週の聖句)

 死期が近づいたとき、
ダビデはこう言って王子ソロモンを戒めた。
「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。
あなたの神、主の務めを守ってその道を歩め。」
列王記上2123

 パウロの言葉:
わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。
どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、
神の御心を十分悟り、
すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、
あらゆる善い業を行って実を結び、
神をますます深く知るように。
コロサイ書1910

 マタイ
1126710) 
 ルカ
14655(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/17;Ⅰ日)

 主である神が、私たち人間のところに来られる、というのですね。
だから、そのために道を備えよ、と。

 ダビデ王が、死ぬ日が近づいたとき、息子のソロモンに、
「主の戒めを守り、
モーセの律法に書かれているとおりに、
主のおきてと、命令と、定めと、さとしを守って主の道を歩むように」と言い残したように。

 イエスが、キリスト(神の子である救い主)として、公の活動をする前には、
バプテスマのヨハネが世に現れ、
「悔い改めなさい(神のほうに向き変りなさい)。
天の御国が近づいたから」と教え、
人々の心を、天の神、主に向けさせてイエスの道備えをしたのだそうです(マタイ
3112)。

 そのヨハネも、自分は領主ヘロデに捕らえられて獄中にあり、
イエスが、御力を現し、王の座に着いて人々をさばこうとしないので、
イエスのもとに使いを送って尋ねたのだそうです。
「おいでになるはずの方(キリスト)は、あなたですか。
それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」と。

 それに対して、イエスは答えられたのだそうです。
「あなたがたは行って、
自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。
目の見えない者が見、
足のなえて者が歩き、
ツァラート(ハンセン病などの重い皮膚病)に冒された者がきよめられ、
耳の聞こえない者が聞き、
死人が生き返り、
貧しい人たちに福音が宣べ伝えられている。
だれでもわたしにつまずかない者は幸いです」(マタイ
1126新改訳)と。


 マリヤが天使ガブリエルから、
「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。
御覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります」と
告げられた時、
不妊でありながら、老年になって、
神によって子を宿した親戚のエリサベツ(バプテスマのヨハネの母)を尋ねたのだそうですが、
そのときにマリヤは言ったのだそうです。
「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、
そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶった者を追い散らし、
権力のある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです」(ルカ14655)と。

 最初のイエスの来臨の時は、このようだったのだそうですが、
二度目に、イエスが、
天使の号令と神のラッパの鳴り響く中に来られる(Ⅰテサロニケ41617)前は、
イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、備えがなされるようです。
この方によって受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いが来るようになり、
受け入れる者が、霊的な知恵と理解力によって、
神のみこころに関する真の知識に満たされ、
主にかなった歩みをして、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆる善行のうちに実を結び、
神を知る知識を増し加えられるのだそうですから。

 この新しい週も。
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