わたしは背(そむ)く彼らをいやし、
喜んで彼らを愛する

(イスラエルへの主なる神の言葉)。ホセア書14: 5

 

  疑いを抱いている人々を憐れみなさい。ユダ書22

 

 フィリピ書1:19~26
 マタイ21:28~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/10;木)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
背く私たち、
神と心を一つにして生きる者に、との願いで造られていながら、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
造り主である神に対立、対抗している私たちの、
その背きをいやし、
私たちを喜んで愛する、大切に思う、と仰ってくださっているのですね。

 

 だから、疑いを抱いている人を切り捨てるのではなく、
あわれみをもって、
火の中からつかみ出して救うように、と。

 

 それで、使徒パウロが言っているように、
私たちの願いは
「世を去って、イエス・キリストと共にいること」であり、
この世にいるよりも、その方がはるかに勝っているのですが、
天の神、【主】は、
なお、私たちをこの世に置いて、
皆の信仰の進歩と喜びのために一緒にいるように、
と思っておられるようです(ピリピ1:19~26)。

 

 ただ一緒にいても、
父親から「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」と言われて、
「行きます。お父さん」と答えながら、行かなかった
兄息子のような私たちをも、
「行きたくありません」と言ったが、
あとから悪かったと思って、ぶどう園に出かけて行った
弟息子のように、
父の願ったとおりにする者に(マタイ21:28~32)、と。

 

 【父である神】は、
私たちの
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、神に背く、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑に合体させて、
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって弟子たちに何度も現れ、
ご自身が確かに生きていることを示し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、

 

 もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうですから。

 

 神の御思いを無視し、背くばかりだった私たちが
【父である神】と同じ思いを思い、心が一つになって、
「父の願ったとおりをする」者に、と。

 

 私たちを、喜んで愛し、あわれみ、いやして。
今日も。

 

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