彼ら(イスラエルの民)
戦車の数が多く、
騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、
主に尋ね求めようとしない。
イザヤ書31:1

 

 私たちの資格(新しい契約に仕える資格)
神から与えられたものです。
Ⅱコリント3:5(6)
 

 黙示録2:8~11
 マタイ21:33~46(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句10/11;金)


 私たち、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている者は(創世記3:5、22)、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方に対立、対抗して、
この方と同じようになろうとして、
全知、全能、永遠不変の者になろうとする性質を持って
生まれてきているのですね。

 

 それで、知識を増し、自分の能力を伸ばし、
持ち物を増やし、兵力を増し、
この方に頼らなくてもいいようになり、
この方を無視し、自分の思うとおりに生きられる者になろうとする。
この方がどう思っておられるのか、など、気にも留めないでいいようにと。

 

 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
「さあ、人と造ろう。
我々のかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26新改訳)とおしゃった
創造の最初の目的を完成させようとしておられる。

 

 それで、イエスは、
「あなた(父である神)がわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らも私たちにおるようになるため、

わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるため」(ヨハネ17:21~22)に、
十字架刑での処刑を受けられて、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしてくださる、というのですね。

 

 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスは、 
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
御自分が確かに生きていることを証明し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたのですが、

 

 その位にあって、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださる
というのですね。。

 

 この方によって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、書きしるして、
【父である神】の御思いが私たちにあり、
私たちの思いが【父である神】の御心の中にあるようにしてくださる、

 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
思いを、心を、一つにしておられるように、
私たちとも、思いを、心を、一つにする者になろう、と。

 


 新しい契約、それは、
「見よ。その日が来る。
――主の御告げ―― 
その日、わたしは、
イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、
わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、
彼らはわたしの契約を破ってしまった。
――主の御告げ―― 
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
――主の御告げ―― 
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ31:25~33)。

 

 「わたしがきよい水をあなたがたの上にふりかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚(けが)れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる」(エゼキエル36:25~27)というもの。

 

 私たちをあらゆる汚れからきよめたうえで、
新しい霊、【わたしの霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、私たちの心に
律法、定め(ご自身の御思い)を置き、書きしるして、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにして、
私たちをご自身と思いを、心を一つにする者にしてくださるとの。

 

 この新しい契約に与(あずか)り、仕える資格を
神が与えてくださる、というのですね。

 

 「見よ。悪魔はあなたがたをためすために、
あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。
あなたがたは十日の間苦しみを受ける。
死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
勝利を得る者は、
決して第二の死によってそこなわれることはない」(黙示録2:10~11)、
とおっしゃられて。

 

 イエスは「家を建てる者たちの見捨てた石」のように見捨てられ、
十字架刑での処刑を受けられて、
この、「新しい契約」の「礎(いしずえ)の石」(マタイ21:42)
となっていてくださるのですから。

 

 私たちも、
〔生まれたときからの私〕から出てくる思いは、
「死んだもの」から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に投げこみ、
かなぐり捨てながら、
新しい契約、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにしていくあゆみの中へと。
今日も。

 

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