わたしがお前と共にいて救うと、
主は言われる。
エレミヤ書30:11

 

パウロの手紙:
私の最初の弁明のときには、
誰も助けてくれず、皆私を見捨てました。
彼らにその責めが負わされませんように。
しかし主は私のそばにいて、
力づけてくださいました。
Ⅱテモテ4:16~17

 

 マルコ12:41~44
 Ⅱコリント10:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/26;土)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)ご自身が、
いつも私たちと一緒にいて救ってくださると言われるのですね。
だから、あなたは、不安だったり恐れていても、
おののいていても大丈夫だと。

 

 ローマ皇帝ネロの迫害による、二度目の裁判においては、
パウロの処刑は確定的で、パウロを弁明してくれる者はなく、
パウロと一緒にいた弟子たちも
パウロを見捨てて地方に行ってしまったようです。

 

 そんなときにも、神である主は、
パウロのそばにいて力を与え、
みことばをはっきりと、余すところなく話すように
してくださったのだそうです。

 

 

 神殿の献金箱にレプタ銅貨(当時の最小単位の貨幣)2枚、
持っているもののすべてを献げた
貧しいやもめとともにおられたように。(マルコ12:41~44)

 

 私たちをキリストに属する者、
イエスのうちにある者としてくださって。(Ⅱコリント10:7)

 今日も。

 

 

 

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