彼らの業は闇の中にある。
彼らは言う。
「誰が我らを見るものか。誰が我らに気づく者か」と。イザヤ29:15
むしろ、それを明るみに出しなさい。
すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。エフェソ書5:11、13
三位一体の神の一人のようになり、
善悪を知るようになった(創世記3:22)人間は、
自分を自分自身の主人にし、
自分の思いを実現することを求めていくものになったのですね。
天の神、主から身を隠すことだったのだそうです(創世記3:7~8)。
それ以来、人は、ありのままの自分を認めようとはしないで、
自分自身にさえ、自分の実態を隠し、
自分の弱さや力のなさ、失敗などを隠していく者になったようです。
「誰が見ているものか。誰が気づくものか」と。
言っておられるのだそうです。
「お前たちはなんとゆがんでいることか。
陶工が粘土と同じにみなされうるのか。
造られた者が、造った者に言いうるのか。
『彼が私を造ったのではない』と。
陶器が、陶工に言いうるのか。
『彼には分別がない』(イザヤ29:16)と。
私たち人間の罪のすべてを背負って十字架刑で処刑されて下さった今は、
私たちもイエスに合され、イエスと一緒に処刑されたものとして、
私たちの反逆は処罰済みなされて、
このままで天の神、主の前に出て行き、
私たちの実態を全部、御前にさらし、広げて、見ていただき、
知っていただくことが出来るようにしていただいているのだそうです。
天の神、主の承知して下さっていること、
光の中の出来事としていただけるのだそうです。
天の神、主は、私たち一人一人と一つになりたいと願っていて下さるのだそうですから。
心を行き来する思いの一つ一つを御前にさらけ出し、
見ていただき、知っていただいて、
イエスの十字架の死の効果を受け取り、
思いを一つにしていただきたいですね。
天の神、主が願っていて下さるままに。
今日も。