2019年09月

あなたは私の嘆きを数えられたはずです。
あなたの革袋に私の涙を蓄えてください。
詩56:9

 

 私たちの主キリストの父であり、
慈愛に満ちた父、
慰めを豊かにくださる神は
あらゆる苦難に際して私たちを慰めて下さるので、
私達も神から頂くこの慰めによって
あらゆる苦難の中にある人々を慰める事ができます。
Ⅱコリント1:3~4

 

 創世記16:6b~14
 マタイ19:13~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/30;月) 

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの嘆き、さすらいを数え、
その書物にしるし、
私たちの涙の一粒一粒をご自身の革袋に蓄えていて下さる方。

 

 私たちの主キリストの【父である神】、
イエス・キリストによって私たちの父となってくださっている方。
慈愛に満ちた方、
あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださる慰めの神。

 

 私たちをも、
ご自身の慰めによって、
あらゆる苦難の中にいる人を慰めるために用いて下さる方。

 

 

 女主人サライ(後のサラ)によって
主人アブラム(後のアブラハム)の妻とされた女奴隷のハガル。

 

 自分が主人の子を身ごもったのを知って
女主人サライを見下げ、
横柄な態度をとるようになったため、
女主人サライの怒りを買い、
彼女のいじめを避けて逃げ出すことになったのだそうです。

 

 そのハガルを、
【主】の使いは、
荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで見つけ、
声をかけられたのですね。

 

 「サライの女奴隷、ハガル。
あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と。

 

 そして、
「あなたの女主人のもとに帰りなさい。
そして、彼女のもとで身を低くしなさい」、と。

 

 「あなたの子孫は、
わたしが大いにふやすので、
数えきれないほどになる。

 

 見よ。あなたは身ごもっている。
男の子を産もうとしている。
その名をイシュマエルと名づけなさい。

 

 【主】があなたの苦しみを聞き入れられたから。
彼は野生のろばのような人となり、
その手は、すべての人に逆らい、
すべての人の手も、彼に逆らう。
彼はすべての兄弟に敵対して住もう」(創世記16:3~12新改訳)、と。

アラブ人の先祖として。

 

 

 イエスに手を置いて祈っていただくために
子どもたちが連れてこられた時、
弟子たちは彼らをしかったのですが、
イエスは
「子どもたちを許してやりなさい。
邪魔をしないで私のところに来させなさい。
天の御国はこのような者たちの国なのです」と言われ、
手を彼らの上において祝福されたのだそうです(マタイ19:13~15)。

 

 私たちも、
私たちの嘆きを数え、
私たちの涙をご自身の革袋に蓄えていてくださる
慈愛に満ちた父、慰めに満ちた神のもとへと。

今日も。

 

 

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思い煩(わずら)いは、
何もかも神にお任せしなさい。
神が、
あなたがたのことを心にかけていてくださる。
Ⅰペテロ5:7

 

 王の勝利は兵の数によらず、
勇士を救うのも力の強さではない。
詩33:16

 

 ヘロデが死ぬと、
主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。
「起きて、子供とその母を連れて、
イスラエの地に行きなさい。
この子の命をねらっていた者どもは死んでしまった。」
マタイ2:19~20

 

 マタイ6:25~34
 詩40(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/29;Ⅴ日曜)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち一人一人のことを心にかけ、
心配していてくださる方。
ひとりひとりを幸せにしようと計画していてくださる方。

 

 私たちは、
自分一人で何かをしなければならないと思って、
思い煩(わずら)う者ですが、
その思い煩いの一つ一つを
「わたしに相談しなさい」と天の神、【主】は仰っておられるのですね。

 

 この方は力強い方。
王の勝利は兵の数が相手よりも多いことによるのではなく、
勇士も自分の力の強さだけで自分を救い出せるわけではない。
天の神、【主】の御思いのとおりに、事はなって行くのだそうですから。

 

 生まれたばかりのイエスを殺そうと兵を派遣したヘロデ大王。
しかし、天の神、【主】は、
その直前に、イエスとヨセフ、マリヤをエジプトに逃れさせ
(貧しい彼らに東方から来た博士たちによって財宝を与えて)、

 

 そして、ヘロデ大王が死んだのち、
エジプトから、呼び戻されたように。

 

 

 天の神、【主】、
イエスによって私たちの父となってくださっている方は、
種まきもせず、刈り入れもせず、
倉に納めることもしない空の鳥を養い、

 

 今日はあっても、明日は焚き物として炉に投げこまれる
野の百合、野の草をさえ、
栄華を極めたソロモン王よりも美しく装ってくださる方。

 

 だから、何を食べるか、何を飲むか、
何を着ようかとの心配、思い煩いも、
天の神、【主】に申し上げ、相談し、知っていただくのだそうです。

 

 この方の統治、
この方の思っておられることが実現することを、

そして、この方とのあるべき関係の中にいることを願いながら。

 

 

 ダビデ王はうたっています。
「私は切なる思いで【主】を待ち望んだ。
主は私のほうに身を傾け、
私の叫びを聞き、
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。


 私は悩む者、貧しい者です。
主よ。私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください」(詩篇40:1~2、17新改訳)、と。

 

 私たちも、
思い煩いの一つ一つを
この方に見ていただきながら。
この新しい週も。

 

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人だれもが飲み食いし、
その労苦によって満足するのは、
神の賜物だ。
コヘレトの言葉(伝道の書)3:13

 

 私たちに必要な糧(かて)
今日与えてください。
マタイ6:11

 

 ヨハネ13:31~35
 マタイ18:21~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/27;金)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、私たちに、
食べたり飲んだりして労苦の中に幸せを見いだし、
人生を喜び楽しむようにと、
思っていてくださるのですね。

 

 だから、イエスも、
「私たちの、日ごとの糧(かて)を今日もお与えください」、と願うよう、
言っていてくださる。

 

 私たちの心に、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の、
互いに愛し合い(ヨハネ13:34)、赦し合う、
あわれみの思いを置いて。

 

 自分に罪を犯した者を、
「仏の顔も三度」でも、七度まででもなく、
七度を70倍するまで赦して。

 

 また、1万タラント(6千万日分の日当にあたる)借金を返せない臣下を
かわいそうに思い、
赦してやった王のように(マタイ18:21~35)。

 

 私たちにも。
今日も。

 

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主を畏れる人々は
頼るべき砦を得る。
箴言14:26

 

 私は
自分が信頼している方を知っており、
私にゆだねられているものを、
その方が
かの日まで守ることがおできになると
確信しています。
Ⅱテモテ1:12

 

 歴代誌上29:9~18
 マタイ18:15~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/26;木)

 

 主を畏れ、信頼することは、
頼りになる砦、避け所を得ることなのですね。

 

 私たちも、自分が信頼している方を知っており、
その方は、私たちにゆだねてくださっているものを、
かの日まで守ってくださる方なのですから。

 

 この方はとこしえからとこしえまでほめたたえられる方。
偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とは、
天にあるものも地にあるものも、
この方のもの。

 この方は、すべてのものの上に、
かしらとしてあがむべき方。
富と誉れは御前から出ます。
すべてのものの支配者であられ、
御手には勢いと力があり、
この方の御手によって、
すべてが偉大にされ、力づけられます。

 

 すべてはこの方から出たものであり、
私たちがこの方に何かをささげたとしても、
それはこの方から出たもの、
この方の御手から出たものをささげたに過ぎないのですね(Ⅰ歴代誌29:10~16)。

 

 【父である神】は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている」(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けられた十字架刑での処刑に合体させて、
処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださっているのだそうです。

 そして受け入れる者に、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心に、
ご自身の御思いを置いてくださるのだそうです。

 

 それで受け入れる者は、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来た思いは、
死んだものから出て来た思いであると認め、
これを神の御前にかなぐり捨てながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きるようにしていただけるのだそうです。

 

 それで、私たちは、
【父である神】の御思いのとおりに、
天で、【父である神】の御思いの中でつながれていることを
地上でつなぎ、
天で、【父である神】の御思いの中で解かれていることを
地上で解く者としていただけるのですね。

 

 ふたり、三人ででも、イエスの名によって祈るとき、
唱え文句で
「イエスの御名によって祈ります」と言えばいいということではなく、
この、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いの中で成っていることを祈る、
ということのようですね(マタイ18:15~20)。

 

 イエスご自身が、
自分からは何事もせず、話さず、
ただ、【父である神】がしようとされることをし、
【父である神】が話されることを話しておられた方(ヨハネ6:38、12:50)。

 

 「イエスの御名によって祈る」とは、
そのイエスの代理人として祈る、ということでしょうから。

 

 すべては【父である神】の御思いから出ているのですから。
私たちもこの方に信頼し、
この方を避け所として。
今日も。

 

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ただ正しいことをのみ追求しなさい。
そうすれば命を得ることができる。
申命記16:20

 

 あなたがたは揺るぐことなく、
しっかりと信仰に踏みとどまり、
すでに聞いている福音の希望から離れてはなりません。
この福音は、
天の下にあるすべての造られたものに
宣べ伝えられたものです。
コロサイ書1:23口語訳

 

 フィレモン書1~16(17~22)
 マタイ18:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/25;水)


 正しいことを追い求めてほしいと、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者と名乗られる方は
私たちに願っていてくださるのですね。

 

 【父である神】は、
私たちを暗やみの圧政から救い出して、
愛する御子イエスの支配の中に移してくださっているのですから。

この御子イエスのうちにあって、私たちを贖(あがな)い、罪を赦して。

 御子は見えない神のかたちであり、
造られたすべてのものより先に生まれ、
万物を造られた方。

天にあるもの、地にあるもの、
見えるもの、また見えないもの、
王座も主権も支配も権威も。

 

 御子は、万物よりも先に存在し、
万物は御子にあって成り立っています。
御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方。
 

 【父である神】は、みこころによって、
満ち満ちた神の本質を御子のうちにやどらせ、
その十字架の血によって平和をつくり、
御子によって万物を、
御子のために和解させてくださいました。

 

 私たち、かつては神を離れ、
心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、

今は、神は、
御子の肉のからだにおいて、
しかもその死によって、
私たちをご自分と和解させてくださいました。

私たちを、聖よく、傷なく、非難されるところのない者として
御前に立たせてくださるために。

 

 だから、わたしたち、
違った教えや、世の風潮に流されることなく、
しっかりとした土台の上に固く立って、
すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、
この方への信頼の中に踏みとどまるのですね(コロサイ1:13~23新改訳)。【

 

 父である神】は、
愛による、私たちの同意なしには
何一つすまいと思っておられるのだそうです。
強制され、脅されてではなく、
自発的であってほしいと願っておられるのだそうですから。

役に立たない者から、神の役に立つ者へと(ピレモン9、11、14)。

 

 神は、小さな子どものように、自分を低くする者を、
天の御国で一番偉い者とされ、
小さい者たちのひとりでも滅びないようにと、
願っていてくださるのだそうですから(マタイ18:1~14)。

 

 神がしてくださっている正しいこと、
この福音の希望にしっかり立って。
今日も。

 

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わたしは、
わたしが主であることを知る心を
彼らに与える。
エレミヤ書24:7

 

 私たちとあなたがたとを
キリストに固く結び付け、
私たちに油を注いでくださったのは、神です。
神はまた、
私たちに証印を押して、
保証として私たちの心に
“霊”を与えてくださいました。
Ⅱコリント1:21~22

 

 ガラテヤ書5:22~26
 マタイ17: 22~27(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句9/24;火)


 神の民、イスラエルの人々に、
また、異邦人である私たちに
神を知る心を与えてくださるのは、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)なのだ、というのですね。

 

 【父である神】は、受け入れる者に、
御子イエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、書きしるしてくださって、
「主を知れ」と言って教えなくてもご自身を知るようにしてくださる
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)のだそうですから。

 

 私たちをイエス・キリストのうちに固く保ち、
保証としての、確認の印を私たちに押してくださり。
私たちの心に
愛、喜び、平安、寛容、
親切、善意、誠実、柔和、自制の思いを置いてくださる、というのですね。

 

 私たちも、自分の肉、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
さまざまな情欲や欲望とともに、
イエスの受けてくださった十字架刑での処刑で
処刑された者、死んだものと認めながら、

 

 この方、【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに導かれて進むように
していただけるのだそうですから(ガラテヤ5:22~25新改訳)。

 

 この方は、予告されていたとおりに(マタイ17:22~23)、
人々の手に渡され、
十字架刑で処刑され、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
御自身が生きていることを見せ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。

 そのイエスを通して、
私たちにも来てくださって(使徒1:3~12、2:1~4)。
今日も。

 

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勇士の弓は折られるが、
よろめく者は力を帯びる。
サムエル記上2章4節


 パウロの手紙:
あらゆる場合に、
我々は神の言葉と神の力とによって、
左右に持っている義の武器によって。

(口語訳)コリントの信徒への手紙Ⅱ6章4,7節
 

 申命記26:1~11
 マタイ17:14~21
   ローズンゲン「日々の聖句」9/23;月・祝)

 高ぶって、多くを語ってはならないのですね。
横柄な言葉を口から出すことも。

 

 まことに【主】、
「『わたしはある(I am)』という者と名乗られる方は、
すべてを知る神。
そのみわざは確かです。

 

 勇士の弓は砕かれ、
弱い者が力を帯び、
食べ飽いた者がパンのために雇われ、
飢えている者が働きをやめ、
不妊の女が7人の子を産み、
多くの子を持つ女が、しおれてしまうのだそうですから。

 

 【主】は殺し、また生かし、
よみに下し、また上げる。
【主】は、貧しくし、また富ませ、
低くし、また高くする。
主は、弱い者をちりから起こし、
貧しい人を、あくたから引き上げ、
高貴な者と共に座らせ、
彼らに栄光の位を継がせられる。

 

 まことに、
地の柱は【主】のもの、
その上に主は世界を据えられました。
主は聖徒たちの足を守られる(Ⅰサムエル:3~9新改訳)、のですから。

 

 それで、私たちも、あらゆる場合に、
神のことばと神の力によって、
左右の手に持っている義の武器によって
立たせていただけるのですね。

 

 初物を主にささげ、
教役者や在留異国人とともに喜び合いながら(申命記26:1~11)。

天の神、主のあわれみの中で(マタイ17:15)。
今日も。

 

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私の魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを
何ひとつ忘れてはならない。
詩103:2(9/22の週の聖句)

 

 あなたのまことに私を導いてください。
教えてください。
詩25:5

 

 あなたがたの教師は
キリストただ一人だけである。
マタイ23:10

 

 ルカ17:11~19
 詩78:56~72


 天の神、【】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちのすべての咎(とが)を赦し、
私たちのすべての病をいやし、
私たちの命を穴から贖(あがな)い、
私たちに恵みとあわれみの冠をかぶらせ、
私たちの一生を良いもので満たされ、
私たちの若さを、鷲のように、新しくしてくださり、
すべてしいたげられている人々のために、
正義とさばきを行われる方。

 

 私たちもこの方の御計らい、
その良くしてくださったことを覚え、
この方をほめたたえるのですね。

 

 この方が、
ご自身の真理のうちに私たちを導き、
教えてくださる方。
私たちの、ただ一人の師として。

 

 かつて、
しもべダビデを選び、
御民ヤコブと
御自分のものであるイスラエルを牧する者とされたように(詩篇78:70~71)。

 

 

 イエスがある村に入られると、
10人のツァラアト
(ハンセン病など、当時、不治の、感染性のおもい皮膚病)
に冒された人がイエスに出会ったのだそうです。

 

 彼らは遠く離れた所に立って、
声を張り上げて、
「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
イエスはこれを見て言われた。
「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」
(ツァラアトが直った者は、その体を祭司に見せ、
直っていることを証明してもらい、隔離を解かれた。)
彼らは行く途中できよめられた。

 

 そのうちのひとりは、
自分がいやされたことがわかると、
大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
彼はサマリヤ人であった。
 

 そこでイエスは言われた。
「10人きよめられたのではないか。
9人はどこにいるのか。
神をあがめるために戻って来た者は、
この外国人のほかには、誰もいないのか」(ルカ17:11~19新改訳)。

 

 天の神、主は、
私たち、この、9人のような者をも、
イエスのもとに戻って、
ほめたたえ、感謝をささげるようにしてくださるのだそうです。

この新しい週も。

 

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神はヤコブに言われた。
「私は神、あなたの父の神である。
恐れてはならない。
わたしがあなたと共にエジプトに下り、
わたしがあなたを必ず連れ戻す。」
創世記46:3、4

 

 だから、
(な)えた手と弱くなったひざをまっすぐにし、
自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
ヘブル書12:12~13

 

 ユダ書1,2、20~25
 マタイ17:1~13(通読箇所)
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 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
まず、兄弟たちのねたみを用いてヨセフをエジプトに送り、
奴隷、
そしていわれのない罪により地下牢に入れられている状態から、
エジプトの王に次ぐ宰相の位置に登らせたのですね。

 

 そして、大飢饉を通して、
ヨセフの父、ヤコブとその一族をエジプトに下らせたのだそうです。
ヤコブに、このような言葉をかけられ、励まして。

 

 そして、70人ほどでエジプトに下ったヤコブの一族を、
エジプトでの430年の寄留の間に、
徒歩の壮年の男子だけで約60万人の民族に成長させ(出エジプト12:37)、
この言葉のとおりに、
モーセを指導者として約束の地に帰って来させられたのだそうです。

 

 このように、
神のことばは、必ず、そのとおりに成るのだそうです。

 

 だから、弱った手と衰えてひざとを、まっすぐにし、
まっすぐな道を歩くように、と勧められているのですね。
永遠のいのちに至らせる、
私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望んで。

 

 疑いを抱く人々、他の教えにそれていく人々をあわれみ、
火の中からつかみ出して救い、
またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、
肉によって汚されたその下着さえも忌み嫌いながら(ユダ21~23)。

 

 【父である神】は、イエスについて、
「これは、わたしの愛する子、
わたしはこれを喜ぶ。
彼の言うことを聞きなさい」(マタイ17:5)と仰っておられるのですから。

今日も。

 

 

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苦しんでいた人々は
再び主にあって喜び祝い、
貧しい人々は、
イスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る。
イザヤ書29:19

 

 ファリサイ派の人々は(主の)弟子たちに、
なぜ、あなたがたの先生は
徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
と言った。
マタイ9:11

 

 ヤコブ書2:5~13
 マタイ16:21~28(通読箇所)
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 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
苦しみでへりくだり、柔和にされた者を
喜び祝うようにしてくださるのですね。
貧しい人々を楽しませ、喜び躍るようにも。

 

 イエスご在世の当時、パリサイ人
(自分を神の律法に忠実な者と自認し、
他の人々から自分を分離していた)たちは、
安息日を守ることと、
(けが)れを受けないことを特に注意していたようです。

 

 それで、異邦人や罪人、
取税人(徴税人:支配者ローマ帝国のために税金を集めていた)の
家に入ったり、一緒に食事をすることは
汚(けが)れを受けることだとして、避けていたのだそうです。

 

 けれども、その考えは、
「昔の人々の言い伝え」によるものであって、
律法を与えられた神の御思いではなかったようですね。

 

 それで、イエスは取税人、罪人と呼ばれる人の家にも入り、
食事も一緒にされていたのですね。

律法を自分の力で守ることに熱心な人々から非難されながら。

 

 私たちも富んでいる人、立派な身なりをした人々に
心を向けがちな者です。

 

 しかし、天の神、主は、
貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、
神を愛する者に約束されている御国を相続する者にしてくださるのだそうです。

あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのだそうですから(ヤコブ2:5~13)。

 

 イエスは、
【父である神】の、
私たち人間に対するあわれみの御思いを受けて、
エルサレムで、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、
(十字架刑で)殺され、
そして三日目に、(新しい霊のからだに)よみがえり、
(天の、【父である神】の右の座に復帰されたのち)、
父の栄光を帯びて、御使いたちとともに来ようとしている、というのですね。

 

 その時には、おのおののその行いに応じて報いをするのだそうです。
貧しい人々に御国を相続させて、喜び躍るように、と。

 


 十字架刑で処刑される人が、
自分がつけられる十字架を負って、刑場まで歩かされたように、
私たちも、
イエスが、十字架刑に向かって歩まれているときには、
自分を十字架刑で処刑される者として、

 

 そして、イエスが、十字架刑での処刑を受け終えられている今は、
自分を、自分自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとして(マタイ16:21~28)。

 

 そして、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただきながら。

【父である神】と心を一つにしながら(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
喜び躍るその日を目指して。

今日も。

 

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